欲望・怒り・迷いを生み出す仕組みを理解し、それら暴走をストップ!

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最初のうちは、怒りをなんとかできればいいと思っていました。

…が、なんと、欲望と迷いが怒りのもととのこと!

マジですか… 欲望と迷いなんて、消すこと不可能じゃね???…。orz

すでに怒ってしまったり、怒られてしまった場合の対策はこちら。

今回は、欲望と迷いをコントロールし、怒りが起きないよう、予防的な処置について説明します。

このプロアクティブな怒り対策、マスターしませぅ!( ・`ω・´)

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欲望とは?怒りとは?迷いとは?

P80
 欲は頭の中で快楽のストーリーが編まれたのに連鎖して生じる煩悩エネルギー、怒りは不快のストーリー展開に連鎖して生じる煩悩エネルギーであるのに対して、迷いは、快楽でも不快でもない、ありきたりの、つまらない、ニュートラルな感覚に連鎖して生まれるエネルギーです。

もう、怒らない より

これだとよくわからないですね。

煩悩エネルギーというぐらいだから、どれもダメなことはわかるんですけどね。

続いて、欲望・怒り・迷いを個々に見ていきます。

P21
 欲望が生じる原因は、「今はまだ、手に入っていない」ことに対する苦痛です。この苦痛を消そうとする力がさまざまな行動を引き起こします。
 「手に入れたい」と思ったその瞬間にパッと欲しいものが「手に入る」おとぎの国であれば、さほど問題はないかもしれません。しかしながら現実の世界では、「手に入れたい」と思い始めてから実際に「手に入る」までのあいだには必ず時間差があります。そのあいだずっと、「手に入れたい、でもまだ手に入っていない、苦しい」という不快感が持続します。これが欲望の根源的な問題点です。

もう、怒らない より

なるほど、努力して手に入れる、とかじゃなくて、とにかく今すぐ欲しいと。

おこちゃまですね…。(-_-;

待てない… 手に入らないから、苦しいと。

大人になれば、ある程度あきらめがつきますから、欲望はガツンと減りますね。

若くて、いろいろな人生経験積んでいないと、欲しいものをどうやって手に入れたらいいのかわからず、この欲望によって苦しむでしょうね。

P52
 怒りの煩悩とは、何かしらの不快感に反応して、目の前から消したい、押しやりたい、消滅させたい、という反発のエネルギーです。

P53
 怒りは「怒鳴る」とか「なじる」などの行動として表れますが、その前段階で、心は「ムカッ」としたり「イラッ」としたりしています。この、不機嫌になるという現象が、怒りの始まりです。
 では、私たちは、どんなときに不機嫌になるのでしょうか。それは面白いことに、他の人間が相手である場合が圧倒的に多いのです。

P55
 すなわち、「ほかの人ではなく何で私に」「やって当たり前という頼み方が無礼だ」など、相手が人間の場合、「自分が不当に扱われた」と感じることで、ムッとしたり不機嫌になったりしやすくなるのです。

もう、怒らない より

自分が不当に扱われたら、人は怒ると。

確かにちょっとディスられたりしただけで、ムカッとしたり、イラッとしたりしますね。

要は、被害者意識ですね。

被害者意識のヤバさについては、こちらをどうぞ。

それにしても、この怒り、人と接している限り、なくならないのでは?と思ってしまう…。

とにかく、この怒りだけは、ホントなんとかしたいです…。(><)

P80
 「迷い」とは、意識が今この瞬間にしっかり留まっていられず、どこか別のところへ飛んでいってしまうときにはたらいている衝動的エネルギーです。集中力、決断力、実行力、継続力などの能力を減退させるエネルギーでもあります。

もう、怒らない より

心ここにあらずですね。

迷うことなんて無害な気もしますが、集中力、決断力、実行力、継続力などの能力減退とのことで、デメリットだらけですね。

これも、なんとかしましょう。

この次からは、欲望・怒り・迷いに対する対策です。

とりあえず幻滅する

P110
 幻滅のススメ
 仏陀は『発句経』十七章二二七節にて「アトゥラよ、これは昔にも言うことであり、今に始まることではない。沈黙している者も非難され、多くを語る者も非難され、すこしく語るものも非難される。世に非難されない者はいない」と仰させ給ひける。つまり、何をやっていても必ず、誰かから非難されてしまうのは、ごく当然なことだっていふこと。
 …
 そこで仏道の立場からは、世の中は非難に満ち満ちているのだから、「非難されてもそんなの当たり前だよね」くらいの感覚で幻滅しておくことを、推奨いたす次第であります。

「自分」から自由になる沈黙入門 より

この考え方、パーフェクトですね。

かつてのボクは、会社で怒られないようにするにはどうしたらいいか、さんざん悩み、対策していました。

…けど、結局、怒られる。

取引先がサイコパスだったり、更年期障害で怒りまくっていたジジイだった時は、めちゃくちゃコミュニケーションに苦労した記憶があります…。orz

…話を元に戻します。

つまり、人は私を必ず非難する、と前もって幻滅しておくのです。

怒られたり、マウントされたり、ディスられたりするのが、アタリマエ… 世の常であると。

はい、この考え方を知った瞬間、恐いものはなくなりました!

だって、非難されてアタリマエなんですもの。

だったら、非難されたら、「またかよ…。(実際に言葉にしちゃダメ)」って、適当に対応すればいいのですから。(^^)

最初のうちは、カチンときたり、倍返ししてやるとか、ついつい思っちゃいますが、スルーできるようになればしめたものです。

がんばりませう。

相手に多くを求めない

P131
 潔く、軽やかに
 自分自身がゆったりと安定しているなら、「この人が自分のすべて!」とはならず。どんなに相手が大切であっても、ダメになったらダメで仕方がないや、くらいの軽い感覚になれるものです。
 そして、気持ちがこのくらいユルイほうが、相手に対して重からざるうえに、モノホシサの対極にある気品のようなものが生まれ、結局のところ、うまくゆきやすいようにぞ思はるる。ものすごく乱暴にまとめ候へば以下の如し。
 不安定→欲しくてたまらなぬ、ジブン剥き出し→相手に重く、近すぎる→壊滅
 駄目なら駄目でしょうがない→相手に多くを求めない→軽く、ほどよい距離→続く
 私が申します「ドウデモイイヤー」は、投げやりに思うことではなく、「どうなっても最終的には受け入れられるよ」てふ潔さ。軽やかさ。それが結果としては、互いの関係を大切にすることになり、ひいては相手に対する優しさにもつながるのであります。

「自分」から自由になる沈黙入門 より

人は、ついつい相手に、勝手、かつ過剰に期待してしまいますよね。

それだと、その人間関係はうまくいかないし、長く続かない。

ガツガツしたら、人間関係は即アウト!

これだけは、やってはいけない…。

ですから、駄目なら駄目でしょうがない、どんな結果になろうと受け入れる、半あきらめの姿勢が大事となります。

ゆったり安定、ユルく潔く、軽やかが大事なんですね。

P99
 論破してもムダ
 納得してくれない相手に対する「今は分からないだろうけど、君もいつか分かるときが来るはずだよ」てふ決まり文句が、いかに品性を欠いた発言であるかは、おのずから了解されることでせう。
 「論理的に正しい議論」によってコテンパンに論破するもまた同じ。しかもまったくのムダであります。
 「相手に変わってほしい」と思うのは欲と怒りの心ですから、その雰囲気=波動をぶつけることで、相手はよけい頑なになって変わらなくなります。上司と部下、のような権力関係にモノをいわせて、無理やり従わせても、多大な恨みを買うだけ。相手を変えようともがけばもがくほど、関係が悪化して自分が損をするだけなのであります。
 反対に、この猥褻な欲望を捨て候へば、相手が変わってくれる可能性もあり。押し付けがましい雰囲気=波動が醸し出されなくなりますため、そのぶん相手の振るまい方も、自然と変わってくるという寸法であります。
 ということは、自分をイライラさせてしまう他人が周りにいるのは、自分自身のせい、と申せませぬでせうか。ジゴー、ジトク。

「自分」から自由になる沈黙入門 より

論破する、ことは、自分を守ることだと思ってました。( ̄□ ̄;)

逆なんですね…。orz

弟がひきこもっているのって、ボクのセイなんですか???

…もう、絶対論破しません。

誓います!

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慈悲のハンマーで自らの煩悩を叩き潰す

P144
 慈悲の心は、もちろん相手のためになりますが、慈悲のハンマーで自らの煩悩を叩き潰すことができるので、まず何よりも自分のためのものと申せます。
 慈しみの「慈」に加えて、哀れみの「悲」、共感の「喜」、執着を離れる「捨」の四つの感情は、念じて心の深いところにインストールすることで、自分を守ってくれます。

 慈:幸せたらんことを、安穏たらんことを。
 悲:苦悩なからんことを。
 喜:喜びがあらわれんことを。
 捨:執着から自由たらんことを。

このぐらい短い言葉であれば、心が混乱している状態であってもすぐ念じて、集中に入ることができます。

もう、怒らない より

これらを念じれば、心が混乱している状態でも、冷静、かつ集中できるようになると。

不幸や不安と感じたら、「幸せたらんことを、安穏たらんことを。幸せたらんことを、安穏たらんことを。幸せたらんことを、安穏たらんことを。…」とひたすら念じる。

これは、 Good です。

不安を感じたら、まず、これを念じるようにするといいです。

自分を含め、誰かを気の毒に思ったり、不憫を感じたならば、「苦悩なからんことを。苦悩なからんことを。苦悩なからんことを。…」とひたすら念じる。

「喜びがあらわれんことを。喜びがあらわれんことを。喜びがあらわれんことを。…」は、どんな時に使うのだろ???

いまいち想像できません…。(´・ω・`)

欲望がふつふつ沸いてきたら、「執着から自由たらんことを。執着から自由たらんことを。執着から自由たらんことを。…」とひたすら念じる。

これを念じて、欲望退散ですね。

なんとなく「ナンマンダブ… ナンマンダブ… ナンマンダブ…。」で統一できそうな気が…。(^^;

欲望・怒り・迷いを減らす

P99
 簡単ヨクボー撃退法
 その恐るべきヨクボーをシラケさせてしまうためには、自分の中に棲み着いているヨクボーをまじまじと観察してあげることが大切なり。
 自分が何かしようとしているのを、他人がじろじろ観察していたら恥ずかしくなったり、シラケたりして、やりたくなくなるもの。ヨクボーに駆られている自分の心に「あ、恥ずかしい」と感じさせてしまえばよし。他言せば、視姦さるることによりてヨクボーは恥じ入り、シラケゆく。

「自分」から自由になる沈黙入門 より

「メタ認知」でございます。

絶賛ヨクボー全開中である自分を、ハタから見て、じっくり観察すると。

こりゃ、ヤバい… 恥ずかしい… と感じると。

確かに、その恥ずかしさでいたたまれなくなり、意気消沈… ということになりそうです。

P25
 勇敢なる沈黙
 どこでもかしこでも、その怒りと欲と迷いのお喋りがべらべらぺらぺらと進行中であるならば、その真っ直中であえて静かに沈黙していようとするのには、いくばくかの勇敢さが必要になろうというもの。その勇敢さを持つことによってはじめて、周りに合わせながら裏でイライラしているようなミットモナイ地平から抜け出すこともできるであろ、と申したいのです。
 そのようにして、相手を否定する「怒り」に流されることもなく、損得勘定をして相手におべっかを使う「欲」に流されるでもなく、「さようですか」と、さらっとかわしてあとは勇敢なる沈黙を選ぶ姿は、きっと誰にとっても凜々しいものに映るに違いありませぬ。

「自分」から自由になる沈黙入門 より

悪口大会にも、ごますり大会にも参加せずに、沈黙して時を過ごすと。

これ、周りの人と話を合わせず、ひたすら沈黙する、のですね。

となると、やはり勇気が必要です… よ。

ってゆーか、要はいかにスルーできるか… ですね。

まとめ

たまき
欲望・怒り・迷いの感情は生産的ではなく、破壊的です。これら感情を察知したら、今回のテクニックを駆使し、冷静に対処しましょう。

れな
ゆったり安定、ユルく潔く、軽やかな人になれると素敵ですね。

おすすめ本

仏教からの智慧により、欲望・怒り・迷いを沈めることが可能です。

仏教の本をもう 1 冊。

ゆったり安定、ユルく潔く、軽やかを目指す方は必読です。(^^)