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現代日本においてメメント・モリを考察してみた

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2018年5月12日(土) 21:01

メメント・モリとは。引用です。

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」「死を想え」などと訳され、芸術作品のモティーフとして広く使われる。
ウィキペディア

死を忘れるな、か。
ふだんこれ、忘れまくりですね。

日常会話にはまったく出てこない。
あきらめの意味ではよく使われますが。オワタですね。

現代の日本では、ふだんから死ぬこと考えて、生きてないです。
ガンのような病気で余命申告されて、初めて、死を意識する。

ふだん死ぬことを考えなくていいのでしょうか。

仮に余命30年だとする。
日に換算する。
10年×365日=3650日
3650日×3周=10950日

えっ、今日1日過ごしたことを、あと約11000回もくりかえすの・・・。
想像できない。これで、死を忘れるなと言われても、途方にくれてしまう。

これは、あくまでも、大往生できた場合です。
最悪、これから散歩に行って、クルマに引かれて死んじゃうかもしれない。

ここからちょっと脱線します。

人生やぶれかぶれで生きている人、いますよね。
この人たちはメメント・モリ意識してるのか。

今さらっていうか、もー、落ちるところまで落ちた感ある人です。
やけくそです。現実逃避ともいいます。

人生思い通りに行かない。
それこそ、環境と習慣に支配されまくりです。

家に酒があり、タバコがあり、つまみがあり、TVがあり、やることなかったら、グダグダして、TVのリモコンガチャガチャしちゃいますよ。
もしくは、ひたすらスマホしたり、インターネットしたりしちゃいます。
7つの大罪の怠惰ってヤツです。恐ろしい。

以上、死を意識しない人々でした。
メメント・モリからはほど遠い。

元の車線に戻ります。

さて、今日死ぬつもりで生きなさいって、よく聞く。
これがメメント・モリかな。

今日は、もう二度とないのだから、悔いのないようにと。
正論ですね。

これは、その日いちにち燃え尽きるように、がむしゃらに行動しろってことなのかな。
違うか。

今日が、この世の最後の日です。
あなたは何をしますか。

  • いつもどおりに過ごす。
  • 「北斗の拳」の世界のように、ひゃっはぁーっと言って、やりたい放題やる。
  • 静観する。ぼーっと過ごす。

これこそ、今さらじゃないですか。
だって、あと1日しかない。
ジタバタしてもしょうがない。

将来きっとこうなる。不確定ながらも希望を持って生きている。
だから、人は、前向きに何かしら行動を起こす。

勉強、仕事、運動、食事、睡眠、コミュニケーション、全て明日という日があるから、死ぬことを気にせず、今を集中する。

明日死ぬって分かっちゃったら、もー、何しても無駄って考えてしまう。
だって、将来のイベントに向かって、準備して生きてるんですもん。
でも、死を忘れるな、なんでしょ。

メメント・モリ、これ、やっぱり有用なんでしょうか。

「死の壁 養老孟司」読んだ。
ちょっと引用します。

死とは主に二人称以上である。
一人称の死は体験できない。
だって、自分の意識が無くなるから。
認識しようがない。

納得です。
一人称の死はあるが、本人は認識できない。
これでも、メメント・モリ、必要かな。

暴飲暴食して太ると寿命は縮むかもしれないが、すぐには死なない。
日々お酒グビグビ飲んでると、肝臓こわしちゃうかも。
日々たばこガンガン吸ってると、肺ガンになっちゃうかも。
ゆでガエルです。
これかな、メメント・モリが言いたいことは。

そんな生活してると、そのうちポックリ死んじゃうよ。
だから、メメント・モリなんですぞ。
どうやら、有用みたいですね。
この辺が落としどころかな。キーボードから離れます。

きれいさっぱり、行くぜ。