先ず隗より始めよ
「先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)」という有名な言葉をご存知ですか?
引用します。
《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われ
て、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりす
ぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から》
大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者か
ら始めよということ。コトバンク https://kotobank.jp/
何か始める時に、身近なことから始めるべき、という意味です。
なんか当たり前過ぎて、そんなことは分かっているよと、言ってしまいそうです。
でも、これって、誰でも簡単に実行できるものでしょうか。
いきなり、手っ取り早く、最高のものを手に入れるべく、近道しちゃいそうですよね。
背伸びして、いきなり困難なことからやろうとしても、生産性が悪く、建設的にうまくいかないことが多いです。
例えば、資格試験です。
資格試験にもランクがあり、いきなり最難関の試験を受けても、まず合格しません。
最難関の試験しかない場合でも、何年間かは実務を通して学び、最終的に試験に合格するという、筋書きになると思います。
これと同じことが、環境の整備や習慣の獲得でも言えるでしょう。
つまり、身近なことから始めるのです。
例えば、リビングを勉強できる環境にしようと思った場合、
- A行動: いきなりリフォームする。(普通ありえませんが・・・)
- B行動: 勉強の邪魔になるマンガやゲームを処分することから始める。
A行動ではなく、B行動から始めるのです。
極端な話、部屋を掃除して、少しレイアウトを変えてみる、でもいいかも知れません。
身近なことを、コツコツ積み上げていくことで、環境は改善され、最終的な目的(例:リビングで勉強できる環境が整う)を達成することができるのです。
「先ず隗より始めよ」の故事に習い、理想の環境や理想の習慣を思い浮かべ、そこに到達するために始める身近な事を考え、行動に移していくことが大事と言えるでしょう。
当ブログも隗より始めます。(2018/7/4追記)
どうでもいいことですが、持病と闘っていました。
久々にブログ更新します。
人間は、考えるという真の労働を避けるためとあらば、どんな手段にもでる
だそうです。
本当でしょうか。
それほど、考えることは苦痛なのでしょうか。
少し考えてみます。
確かに苦痛です。
反応した方が楽です。
勉強も仕事も考えず、覚えたことを、とっとと実行した方が楽です。
考えなしで、反応して生きていく。
人間はいったいどうなるのでしょうか。
少し考えてから、また書きます。
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