暇と退屈を選ぶ
人は、暇と退屈を選び、生きると言えるでしょう。
暇とは。引用です。
暇(ひま、いとま)は、余った時間。することがない状態。
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退屈とは。引用です。ちょっと、長いですが。
退屈(たいくつ)は、なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情である。
ある程度の時間にわたって、興味(好奇心)を持てる感覚的な刺激が得られない状態で、その状態を維持することを求められると、当初はどのようなものかに興味が持てるかもしれないが、その内容に見通しがつき、それが興味を維持できないものであった場合、飽きが来る。それでも止めることを選択できない場合、それを続けるのが苦痛になる。この状態が退屈である。教科書をただ棒読みするだけの先生の授業や、会社での単調な作業はひどく苦痛である。これが退屈という感情である。
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人は、暇か退屈かを意識することで、人生の状態が変わります。以下、4種類の意識があり、それぞれの人生の健全度も変わります。
4種類の意識
- 暇であり、退屈である。
例:達観したさとりの境地の人、自分が自由であると意識している人
人生の健全度:健全
相対順位:ベスト - 暇ではないが、退屈である。
例:退屈(引用)の最後を参照、拘束されている時間を持て余す人
人生の健全度:準不健全
相対順位:ワース - 暇ではないが、退屈でもない。
例:中毒患者、ワーカーホリック
人生の健全度:不健全
相対順位:ワースト - 暇であるが、退屈ではない。
例:裕福な人、優雅な人、熱中・没頭できることを持つ人
人生の健全度:準健全
相対順位:ベター
これって本当でしょうか。その人の立場によって、意見が変わるかもしれません。あくまでも、当事者自身の立場ではこうなります。
暇と退屈を選ぶ
で、何が言いたいのか。
以下の優先度で、人生を生きるということ、である。
- 暇であり、退屈である。(健全、ベスト)
- 暇であるが、退屈ではない。(準健全、ベター)
- 暇ではないが、退屈である。(準不健全、ワース)
- 暇ではないし、退屈でもない。(不健全、ワースト)
この優先度で、暇と退屈を選べば、なるべく健全に生きることができます。
2つ、例を示します。
アツオくんは会社(学校)に行きます。
会社(学校)では、アツオくんの時間は拘束されます。ですから、暇ではない、ということです。
人生の優先度からすると、3.か4.で、準不健全か不健全になります。
どうせだったら、準不健全でありたいでしょう。
不健全にならないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
退屈になるよう、仕事(学業)を集約化・効率化したり、おもいっきり切り捨てたりして、予防するのがいいでしょう。
アツオさんは起業しているオーナーです。
オーナー業ということは、いつでも好きな時に仕事ができます。アツオさんの時間は完全フリーで、暇です。
人生の優先度は、1.か2.で、健全か準健全。どうせなら健全がいい。
準健全にならないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
退屈になるよう、仕事を他者に任せたり、おもいっきり止めたりして、予防するのがいいでしょう。
さいごに
いかがでしょうか。
今の立場で、どうすべきか、お分かりになったと思います。
暇と退屈を選び、環境や習慣を変え、より健全な人生を送るにはどうしたらいいのか。
あなたのやるべきことが、うっすら見えてきたら幸いである。
きれいさっぱり、行くぜ!
参考文献(2018/7/9更新)
実際に読んだのは暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator) です。
ヨメレバでは、増補新版がうまく表示されない。なんでだろ?
なんか、忙しい、スケジュールぎっしりでオレ、エラいみたいな人達って、今だに居ますかね?(笑)
もう、さすがにそんなこと言ってる方々は絶滅したかな。
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