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陽明学左派から学ぶ。勝ち負けや損得にこだわらずスマートに生きる!

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陽明学(ようめいがく)ってご存じでしょうか?

中国が明の時代、王陽明(おうようめい)さんという方が、儒教・朱子学に続き、更に発展させた哲学で、それが陽明学です。

この陽明学、人に強制するような無理難題がなく、いい感じです。

しかも、普段の生活で、この陽明学の教えを実践することが可能です。

いくつかご紹介します。

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知行合一

「私は二重の生活を送ってはいない。『この世界』を生きている。私が『語ること』と『すること』とのあいだにギャップはない。(カルロス・カスタネダ)

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

陽明学に出てくる考えの中で、「知行合一(ちこうごういつ)」があります。

これは、言行一致ではない。

知行合一は、裏表なし、本音とたてまえを使い分けない、外面と内面を一致させる、などの意味です。

このように自然体で、知って、行動すること、です。

ちなみに、知ってても、行動しなかったら、知行合一ではないとのこと。

これは、知らないのと変わらない、です。

この知行合一の考えで行動すれば、本音とたてまえを使い分ける必要がなく、さらに、勝ち負けや損得なども考える必要がないので、ストレスなしに行動できるのがメリットです。

これって、ある意味、フローする、ということではないでしょうか。

フローについては、こちら。

私欲を野放しにすると、いつかは身を持ち崩す

 必要以上のお金を受け取ると、箍(たが:桶などの器の外側を堅く締める輪、転じて生活の規律を指す)が弛(ゆる)んで自分の生活がだらしなくなる、そして人間性が崩れるというのです。
 実際に、不必要なお金を持つことで、身を持ち崩して転落していった代打ちを何人も見てきたのだそうです。
 あるいは、勝負を無事に終えて、お疲れ様でしたということで銀座のクラブに連れて行かれて、「どうぞ、好きな女の子を選んでください」といった接待もあったそうです。当然ながら、桜井会長はそれも受けなかった。そんな誘惑に引きこまれると、必ず身を持ち崩すからです。
 つまり、私欲を野放しにすると、いつかは身を持ち崩すということなのです。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

人って、いきなり大金が手に入ると、たいてい身を持ち崩しますよね…。

要は、身の丈に合っていないお金を得ても、自分がダメになるだけ、ということです。

思えば、社会人なりたての頃のボクもそうでした…。

もらった給料で、パソコン買ったり、バイク買ったりと、絶賛欲望全開でした…。orz

不必要なお金を得たり、贅沢したりしない。

これ重要な教えで、あとから出てきますが、「中庸」といいます。

これは、肝に銘じる必要あり、ですね。

真剣になるとは、欲をかかないこと

「常勝の秘訣は、日常生活で自分を律することである」
 言い換えれば、「私欲を野放しにしないこと」であり、つまりは「私欲を少なくする」ということです。
 これなどは、王陽明の
「日々、人欲を減らす修行を積み重ねれば、天理(良知)は回復できる」(「伝習録」上巻)
 という言葉を思い起こしてしまいます。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

欲張っちゃダメなんですね。

ガツガツはダメだと。

普段の生活で、節制することが重要である、と。

仏教でも、欲望は煩悩の1つでダメですよ、とありました。

陽明学でも同じく、欲望はやっぱりダメなんですね。

欲望を止める方法については、こちらをどうぞ。

寝坊する、嘘をつく、ごまかす……みんな恥ずかしいこと

「桜井会長、麻雀で強くなるには、どうしたらいいんですか」
 と聞かれて、桜井会長は、
「自分に恥ずかしいことをしないことだ。寝坊するのも、嘘をつくのも、ごまかすのもそうですが、自分に負けることっていっぱいあるのです。そんなところで負けておいて、麻雀だけ勝とうと思うのは大間違いだ」(桜井章一「雀鬼流。--極意と心得」三五館)
 と答えたそうです。
 拙書「雀鬼と陽明」にも書きましたが、桜井会長の常に口にする言葉があります。
「日常生活がチャランポランな奴は、どんなに麻雀修行をしても、決して強くはならない」
 要するに、多くの人たちがそうなのですが、仕事と日常生活と修行というぐあいに、分けてしまっている。仕事なのだからちゃんとしようとか、修行の時間だからちゃんとしようとか、仕事は頑張ってるのだから日常生活は少々チャランポランでもいいだろう、とかね。

……

 日常生活の中で、散らかしたけれども片付けない、つまり整理整頓がめんどくさいとか、四角い部屋を丸く掃除するとかして、ついつい雑なことをやってると、めんだくさがり屋の癖、雑にやるという癖がついてしまって、その癖は仕事の中にも出てしまうのです。
 いくら自分をもっとよりよく高めたいと思って修行しようが、いくらいい仕事を心がけて頑張ろうが、日常生活の中で、日々、雑にやる癖をつけていたら、どうなるでしょう。
 一方では、いい加減な、雑な人間にならないようにしようと思って修行していても、もう一方の日常生活では、雑な人間になるための修行をしているようなもので、結局、プラスマイナスゼロか、もしかしたらマイナスになっているかもしれません。
 日常生活の中で、雑ないい加減な人間にならないためにも、雑にやらないという癖をつけて初めて、いい仕事ができるし、修行も効果が上がるわけです。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

オンオフ分けちゃいけない…?

マジで…!?知らなかったですよっ!

学校や仕事が休みだからって、ダラダラ過ごしちゃダメなんですね。

そうしていると、悪い癖がついてしまうと。

普段の生活から、節制するのと同時に、チャランポランに適当にしてちゃアウトであると。

日常だろうと、仕事の時だろうと、雑にいい加減にやらず、キッチリとやる癖をつけるのが大事なんですね。

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心を磨けば技術もついてくる

 心と技術のことを桜井会長の言葉で補足すると、
「周りの人々に迷惑をかけないなど、麻雀に限らず普段の生活の中においても、私より公を優先させる心を持ち、人間性を磨くことが、おのずと麻雀に生きてくるのだ。ただ勝てばよいといった気持ちでは、ずるさや、テクニックに陥り、本当の雀力は育たない」
「だれもが向上心をもっているが、しかし、己より強い相手に挑戦するというプレッシャーによって向上心は阻害されてしまう。負けることを恐れる。<弱さを律する>勇気を持たねばならない」
 となります。桜井会長の言葉を噛み砕いて言いますと、
「人は、弱いからこそ、ただ勝てばいい、そう思って、ずるがしこいプレーをしてしまう。そうではなく、弱いからこそ、人間性を磨く、自分を律することによって、心を強くし、真の強さを育むのだ」
 ということになります。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

小手先のテクニックを磨くのではなく、「人間性を磨く」ですか。( ̄□ ̄;)

ただ、勝てばいい・得すればいい、ではないんですね!

人間性が大事なんですね。

しかも、ここでも出てくる、普段の生活における態度について。

いかに、普段から、キッチリとよい癖をつけていくのが、大事かがうかがえます。

雨が降ってきたくらいで、予定をしていた行動をやめてしまう人がいる

「あ、雨だ。嫌だなあ。これから出かけなきゃならないというのに。この雨の中、出るのはおっくうだから、キャンセルしちゃおう」
 と、たかだか雨が降ってきたくらいで、予定していた行動を止めてしまう人っていますよね。
 台風とかならまだわかりますが、雨に降られる程度の自然現象にさえ心を揺らして、さらにはその行動が左右されるようでは、あまりにも心が弱いとしか言いようがありません。
 天候ごときに心が揺れて、予定を変更するようでは、弱肉強食の社会で生き抜くことなど到底無理といわざるを得ません。
「雨が降ろうが、風が吹こうが、嫌なことがあろうが、楽しいことがあろうが、一回こっきりの人生、今日という日は二度とない、そう思って楽しもう」

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

出かける予定だったけど、雨降ってきたから止める。

よくあることです。

でも、これ、やっぱり、ダメなんですね…。

だって、これ、自分に負けてますもんね。

雨だけど、当初の予定どおり、外出してやることやった方が、仮にずぶ濡れになったとしても、気分はいいはずです!

雨ごとき、負けてられませんね。

雨が降り、外出する予定になっていたのであれば、逆にチャンスです。

人間性に磨きをかけませう!!( ・`ω・´)

逆境は「真剣さ」を教える順境

 病気にかかったことで、健康な時には見えなかった、わからなかったことに気づかされることもあるように、逆境の中で育まれるもがあります。
 それは、心の強さです。
「私は逃げなかったぞ」という思いから生じる自分への信頼、自信です。
 それによって、次の新しい展開が生まれてきますから、逆境から逃げないということが、実は、一番大事です。
 逆境の中でしか、真剣という境地にはなれません。忍耐力も、逆境の中でこそ培われます。

……

 その人が順境に、恵まれ過ぎた環境にあるときに、
「お前、真剣になれ」
 と言ったって、無理なのです。
 高校生の時に親から毎月30~40万円もらっていたとうある女優の息子ではありませんが、働かないでも食べていける人に、真剣になれといっても、無理なのです。なろうと思っても、なれるものではありません。見方を変えると、生きる力の養成を奪われた哀しい姿ともいえます。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

これは本当にそう思います。

ボクは持病があるんで、このことはとてもよくわかります。

慢性の病気や、ガンなどを患ったりして、死のリスクを負うと、人は絶望するんです。

それでも、今、生きている。

ですから、それら事実を受け入れ、目を背けず、自分のできることをするのです。

人生に逃げない。

この逆境を利用してやる!

そうすることで、自分への信頼や自信、忍耐力などを、日々積み上げていくのです。

正々堂々と、自分の人生を、一歩一歩あやみます。

生・死を、幸・不幸を、悩む必要などない

 人間、生まれると同時に、死が始まりますよね。ということは、生と死というふうに、言葉の上で区別するだけで、その実態はといいますと、生と死はイコールなのです。
「生と死は、もともとひとつである」というわけです。
 コインの裏と表と同じ関係です。表と裏は、別々に存在できないのです。
 ここからここまでが生、ここからここまでが死というふうに分けることができないものなんです。
 幸福と不幸も同じです。有るといえば有るし、無いといえば無い。まるで禅問答ですが、
「有るけれど無い」
 と言っていい。
 肉眼で見れば有る、心の眼で見たら無い、というわけです。
 今となって思えば、あの辛い不幸な出来事があったからこそ、現在の幸せな生活がある、ということもよくある話です。そう考えていきますと、勝った負けた、損した得したで一喜一憂する、そういう人生はまったく意味がない、ということに気がつきます。
 逆境にあっては、心を荒ませなければいいのです。順境にあっても、有頂天になって、傲慢にならなければいいわけです。ですが、これが簡単なようでなかなか難しい。
 順境、逆境の間で右往左往しない安心の境地を、儒教では、「中庸」といいます。
 心が右往左往しない、極端から極端に上下しない人が、誰かが口にした言葉や環境に振り回されない安定した心の持ち主こそが、もっとも幸せな人なのです。誰かに何を批判されようとも、心の中の何かが減るわけではありません。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

生と死、幸せと不幸が同じとは…。

マジですか!?( ̄□ ̄;)

陽明学のスゴいところは、まさにコレです。

生と死、勝ちと負け、損得、幸・不幸、順境・逆境と、二項対立したこれらに、心が躍らされない!

生・勝ち・得・幸・順境でも有頂天にならず、死・負け・損・不幸・逆境でも心荒まさず、いちいち右往左往しないし、動じない。

これぞ、「中庸」です。

我々は、この中庸な状態を、できるだけ維持すべく、努力するようにします。

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「後回し」という悪い癖を直す

 では、どうやったら、心が安定するようになるのか、ということについてお話ししなければなりません。
 それは、日常生活の中での工夫と努力にかかってきます。
 まずは、いい友人を持つことです。いい友人がいなければ、過去に生きた人でもいいのです。私の場合はゲーテやR・シュタイナーや王陽明ですが、あるいは西郷隆盛や勝海舟のような、偉人賢人の本を読んで、勇気をもらうことです。

……

「めんどくさいことから逃げない」
 ことです。
 私、自分中心の思い、私欲があるから、そう思ってしまう。ある人にとっては、茶碗を洗うこと、料理をすることは、なんでもないことです。その人は、めんどくさいとかそんなこと思わないで、ただやってしまいます。
 めんどくさいと思うのは、それが癖になっていないということです。
 前にも話しましたが、自転車や車の運転と同じです。癖になっていないうちは、教習所に行くのがめんどくさい。掃除することが癖になっていないから、めんどくさい。
 癖にしてしまえば、体得してしまえば、苦痛ではなくなります。つまり、当たり前になる。

イヤな仕事もニッコリやれる陽明学 より

中庸という、心の安定を保つには

  • 友人を持つ
  • めんどくさいことから逃げない

とあります。

友人からは勇気をもらい、めんどくさいことは一々考えず、どんどん行動して消化してしまう、ですね。

これらを満たせば、中庸となり、心が安定すると。

ちょっと、やってみる価値はありそうです。

まとめ

たまき
たまき
陽明学から中庸と呼ばれる、勝ち負けや損得に拘らない生き方が学べます。これで、心が安定した生活ができます。

れな
れな
普段の生活でよい癖をつけましょう。規則正しく、キッチリとすることが大事です。

おすすめ本

陽明学の本です。

イヤな仕事も陽明学を使えば、イヤでなくなる。

スゴいですよね。